ダット・アサワリ (フリゲート)
ダット・アサワリ | |
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基本情報 | |
建造所 |
ヴォスパー・ソーニクロフト社 (ウールストン, イギリス) |
運用者 | リビア海軍 |
艦種 | フリゲート |
級名 | ヴォスパーMk.7 |
前級 | トブルク |
次級 | コニ型 |
艦歴 | |
発注 | 1968年2月6日 |
起工 | 1968年9月27日 |
進水 | 1969年10月13日 |
竣工 | 1973年2月1日 |
その後 | 1992年以降、係留練習艦として使用 |
要目 | |
基準排水量 | 1,325トン |
満載排水量 | 1,650トン |
全長 | 101.6 m |
幅 | 11.08 m |
吃水 | 3.36 m |
機関 | CODOG方式 |
主機 |
・パクスマン ベンチュラ16YJCM ディーゼルエンジン×2基 ・TM2Aガスタービンエンジン×2基 |
推進 | 可変ピッチ・プロペラ×2軸 |
出力 |
46,400馬力 (ガスタービン) 3,500馬力 (ディーゼル) |
速力 | 37.5ノット |
航続距離 | 5,700海里 (17kt巡航時) |
乗員 | 132名 |
兵装 |
・55口径114mm単装速射砲×1基 ・70口径40mm単装機銃×2基 ・90口径35mm連装機銃×2基 ・シーキャット短SAM 3連装発射機×2基 ・オトマートSSM×4発 ※後日装備 ・リンボーMk.10対潜迫撃砲×1基 |
FCS | NA-10 mod.2 砲・ミサイル用 |
C4ISTAR | IPN-10戦術情報処理装置 |
レーダー |
・AWS-1 対空・対水上捜索用 →RAN-10S 対水上捜索用 ・RAN-12L/X 対空捜索用 ※後日装備 ・RTN-10X 火器管制用×2基 ・デッカTM-1229 航法用 |
ソナー | ・ディオドン |
ダット・アサワリ(Dat Assawari, F01)は、リビア海軍のフリゲート。イギリスのヴォスパー社 (Vosper & Company) のMk.7フリゲートの設計を採用している[1][2][3][4]。
来歴
[編集]イギリスのヴォスパー社 (Vosper & Company) は、旧イギリス植民地を含む開発途上国への艦船輸出事業に期待して、1960年8月には政府から後援を受けるための交渉に着手していた[4]。まずガーナ海軍 (Ghana Navy) がMk.1コルベット2隻を発注し、これはクロマンツェ級コルベットとして1964年より就役を開始した[5]。リビア海軍も砲艦仕様の1隻を発注し、これは「トブルク」として1966年に竣工した[3]。
一方、同社はこれと並行して、ガスタービンエンジン搭載の高速フリゲートの開発も行っており[4]、1966年にはイラン帝国がMk.5フリゲート4隻を発注していた[6]。1968年2月6日には、リビアも、同系列のMk.7フリゲート1隻を発注した。これによって建造されたのが本艦である[1][2][3]。
設計
[編集]上記の経緯より、本艦はヴォスパーMk.7フリゲートの設計を採用している。これは先行してイラン海軍向けに建造された上記のMk.5フリゲート(サーム級)と同系列で、やや大型化したものであった[4]。主機はサーム級と同様のCODOG構成で、ガスタービンエンジンは同系列のロールス・ロイス オリンパスTM2Aが搭載されたが、ディーゼルエンジンは「トブルク」と同型のパクスマン ベンチュラ16YJCMに変更された[2][3]。推進器はKaMeWa社製の可変ピッチ・プロペラとされた[1]。
装備
[編集]レーダーとしては、当初はプレッシー社のAWS-1が搭載されていたが、1979年からの改修の際に、RAN-12L/XおよびRAN-10Sに換装されたほか、航法用のデッカTM-1229が追加された。またIPN-10戦術情報処理装置も搭載された[2][3]。
艦砲としては艦首甲板に55口径114mm単装速射砲(Mk.8 4.5インチ砲)を搭載した。また艦尾に90口径35mm連装機銃(エリコンGDM-A)を搭載したほか、対空兵器として、船首楼甲板前端部にシーキャット個艦防空ミサイルの3連装発射機が搭載されたが、こちらは1979年からの改修の際にアルバトロスの4連装発射機に換装された[1][2][3]。
対艦兵器としてはイタリア製のオトマート艦対艦ミサイルを採用し、艦尾甲板に単装発射筒4基を設置した。対潜兵器としてはリンボーMk.10対潜迫撃砲が搭載されていた。その後、1979年からの改修の際に、A244短魚雷および324mm3連装魚雷発射管(ILAS-3)に換装された。またこの際にディオドン・ソナーも搭載された[1][2][3]。
艦歴
[編集]海上公試はイギリスのポートランドで行われ、1973年秋にトリポリに回航された。その後、1979年より、ジェノヴァのCNR社において近代化改修が開始された。途中、1980年10月29日に爆弾テロによって損傷するというアクシデントもあったが、1983年3月には公試に入り、10月1日に再就役した。しかし1984年には大規模な機関修理が必要となってイタリアに戻され[1]、1985年6月にようやくリビアに回航された[2]。
1989年から1990年にかけて大規模修理が行われた[3]。その後、ジェノヴァの造船所でのオーバーホールを経て、1992年にはトリポリに回航され、以後は非可動の保管状態で、係留練習艦として用いられている[7]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Sharpe 1989, p. 360.
- ^ a b c d e f g Prezelin 1990, p. 351.
- ^ a b c d e f g h Gardiner 1996, pp. 255–256.
- ^ a b c d Friedman 2012, pp. 196–217.
- ^ Gardiner 1996, p. 157.
- ^ Gardiner 1996, pp. 183–185.
- ^ Wertheim 2013, p. 426.
参考文献
[編集]- Friedman, Norman (2012). British Destroyers & Frigates - The Second World War & After. Naval Institute Press. ISBN 978-1591149545
- Gardiner, Robert (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. ISBN 978-1557501325
- Prezelin, Bernard (1990). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 1990-1991. Naval Institute Press. ISBN 978-0870212505
- Sharpe, Richard (1989). Jane's Fighting Ships 1989-90. Janes Information Group. ISBN 978-0710608864
- Wertheim, Eric (2013). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 16th Edition. Naval Institute Press. ISBN 978-1591149545